最近老々介護の家庭がとても増えています。
もちろん元気で夫婦で過ごせているのであれば、何も問題はありませんが、それが突然介護している方が入院したり、逆に介護をされる本人が病気やケガなどでさらに弱ってしまったらどうなると思いますか?
病院では長ければ1カ月以上も入院する方もいますが、老々介護で介護をしていた方・されていた方が入院となった場合、そのバランスが崩れやすくなります。
今回はある男性のお話をしてみたいと思います。
「妻と死のうと思った」と話した10年以上介護をしていた男性
その方はパーキンソン病の妻をずっと自宅で介護をしていた男性でした。
徐々に進行していく病気と、お互いに衰えていく体力。
私が出会った時には、妻はほぼ自宅で放置されており、拘縮(体が寝たまま等の姿勢で状態で固まってしまうこと)がひどく、食事も満足に与えられておらず、自宅に帰すのはどう見ても難しい状況でした。
介護の中心である夫は、元気ではあるものの、長年の妻の介護の経験から
「いつもはこうしていた」
といったように、食事の提供方法やおむつ交換なども、以前の元気に動けていた時と同じようなままの介護を行っていました。
食事はダイニングテーブルに、普通の固さの食事を置いておくだけ。
介助は一切せず。
しかし、妻はその介護のレベルでは自分では何もできず、食事摂取がほとんどできておらず低栄養で入院となりました。
その介護の方法の問題点やこうした方がいいとの指導を、介護者である夫にしたところ、
「これで今まで長年やって来たんだ、うちのやり方に文句言うな」
と言うように私らの支援を拒否しました。
もちろん施設入居も拒否。
夫が自宅で介護食を作れるとは思えず、しばらくは訪問看護での点滴や、医師は胃ろうの増設を提案しました。
しかし夫は決して、それを許可しません。
このままであれば、大切な奥さんが命の危機に陥るかもしれない、と当時、
「とにかく説得をしなければ!」
と焦った私は、夫にこのままだと生じるリスク、自宅復帰できるまで施設入居をする提案などを一方的に説明しました。
その結果、その夫からなんて言われたでしょうか?
「あのな、お前に俺の気持ちがわかるか?
俺は何度もあいつ(妻)と死のうと思ったんだよ。
俺らを引き離すということは、俺は死ぬということだ。
元気な時から、あいつとずっと一緒にやってきた。
誰よりもあいつのことは俺がよくわかってる。
お前らにはわからないだろうが、あいつは調子がいいと朝ごはんはしっかりダイニングテーブルに座って、俺と一緒に飯を食べるんだよ。
食わない食わないって言うけど、お前らにはわからないんだよ。」
この
「お前らにはわからない」
という言葉をたくさん使った夫の言葉には、私への怒りと拒絶があると嫌でもわかりました。
と同時に、私はこの夫の努力、辛さ、悲しみ…
言葉で表せないこの夫婦の関係をちゃんと認めていたかな、と自問自答をしました。
まずは、この夫が長年妻を全力で支え、愛してきたという事実を認めないといけないなと感じました。
自分の主張ばかりで、夫の介護はなってないという、上から目線の指導は間違っていたということにも気づきました。
この一連の話を主治医にも相談した結果、
主治医からも
「あの旦那さんは、誰よりも奥さんを支えているのは診察でもよくわかったよ。
そういうことなら、自宅に帰して、デイサービスで”食べない時だけ”って言う形で、点滴してもらうとかできないかな?
僕から旦那さんに話すよ。」
という話になり、結果的にデイサービスやケアマネさんとも情報共有を行い、デイサービスで点滴で栄養を補うという方法でギリギリ自宅での生活を保ちながら過ごすことになりました。
教科書通りが正しいとは限らない
長年連れ添ってきた夫婦や家族の間には、私ら部外者が思いもよらない関係性や依存性が存在しています。
先ほどの夫婦のケースも虐待と呼ぶには、少し難しいですよね。
家族も介護の形もひとそれぞれ。
ですが支援をする側として、正規の方法へ無理やり導くよりも、その家庭、家族の思いを受け止めて、そこを尊重しながら程よい着地点を見つけていくことも大事だと気づいた経験でした。
支援する側はそこにある関係性をしっかり見極めることと、譲れない想いや経験を見つけ、尊重し、そのうえでどう支援体制をまとめていくかを考えていくことが大切です。
そして、この気づきは医療・介護関係者だけに向けての内容ではなく、これは少し離れた子供、家族間でも言えることです。
よく子供が親の生活を
「そんなんじゃダメじゃない」
「こうしなよ!」
と誘導や半強制的に進めてしまうこともありますが、それも紹介したケースのように、夫婦や家族間で気づかれた関係性を無視してしまうことになります。
この関係性って、非常に重要で依存性が強ければ強いほど、バランスを崩してしまいます。
「死のうと思った」
そう思うほど、依存してしまうことも少なくありません。
私もそこにある「関係性」をしっかり受け止めた支援を心がけていこうと思います。